2008年10月31日星期五

納屋を焼く

  秋休みは早くもう二日しかない、忙しかったが、したことが少ない、またいっぱいしたいことが残ってる。でも、日本語の読むのをきちんと続けている。村上春樹の「納屋を焼く」を終わったばかり、そして、感想を書きたい。
  その短編は前の短編よりわかり難い、でも言葉の問題ではなく、主人物たちなにかしているとか、何か考えているのがわかり難い。ただ、「納屋を焼く」はどんな意味、あるいはどんな気持ちを読者に伝えたいが難しい、私はもっと深い意味があると思うが、みつけなっかた。
  初めから、「僕」と不思議な「彼女」と知り合った、私にとって、「不思議」というのは「彼女」が自分の感情がよくわかっていないという意味。でも面白い「蜜柑むき」の話をして、「僕」は「彼女」が気に入った。私は「彼女」が多分気楽な人で不快なことあまり頭の中に入れないと思った。でも、後彼女はもっと不思議な恋人を連れてきた。その人は私がぜんぜんわからない、「納屋を焼く」人だ。どうしてそんな変なことをしているか、「納屋がほかの人に焼くのが待っている」と思った!そのためにまたいい計画を立てて、納屋をよく選んでしている。そんな話しているとき、「僕」はよく信じた、私も。でも「僕」はほんとに焼いた納屋が見つけなかった。「彼」は「近く過ぎる、きっと見落ちた」と答えた。その上、「彼女」はそのとき消えてしまった。
  難しい小説だな、その短編について日本人に「どんな意味」と聞きたい。あるいは、時間があれば、もう一度読みたい。

1 条评论:

yuka_kn 说...

私にとって不思議なのは「納屋を焼く人」より「僕」のほうです。でも、とにかく不思議な余韻の残る話ですよね。読んだ後、何か理解すべきことがあるのに、それをしそびれたような気分になりました。同時に、私たちはどうしても人物や出来事を関連づけて考えようとするけど、でも本当は何にもないのかもしれないとも思いました。

晴美さんとも話しましたか?