2008年12月16日星期二

「蛍」についての続き

  最近試験と研修の準備に大変忙しかったから、しばらくブログに書かなかったが、すみません。その時、私は特に三年生になってから時間が前よりもっと早くなくなりと感じた。いつもしたいことに時間が足りなくて、日本語の勉強が難しくなってきた。
  でも、村上春樹を忘れていない。最初読んだ「蛍」は有名な長編「ノルウェーの森」の原作だといわれて、「蛍」に分からないところが多いから、「森」がとーーーても長いでも、読んでみたくなった。あまり時間がなくて、中国語に翻訳した「ノルウェーの森」を読むことにしてた。ネットでその小説を見つけて、試験の復習につまらなくなったら、半時間くらい小説を読むことにした、やっぱり中国語のほうがやみやすくて先週まで読み終わった。
  「森」を読んでからもう一度この作品を読むと、「森」で語られる物語の大半が、この作品の中に含まれていることに気づいた。その以上、もっと詳しい全体的な話だ。実はその小説のひとつ伝えたいテーマは「生」と「死」に対して人生を態度だと思う。とても重いテーマだ。
  「蛍」に最初そのテーマ見えるところは「僕」の一番仲良い友達が自殺したとき、「僕」は突然にそういうことを分かった:
  「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
  初めて見たとき全然分からなかった、どうしてまた19歳の「僕」そんなことを考えている?その時「彼女」との話もまだ始めていない。でも、そう言うと、すぐ悲しい雰囲気になった。もっとく詳しい話は「森」にあって、読まないとほんとに難しい。
  ここでのテーマはいうまでもなく私たちの「生」に濃密な影を投げかける「死」であり、世界の構成の中に含まれているある種の「不公平さ」であると思う。そのような不公平さゆえに傷つきも、損なわれても前に行く。でもそのものへの限りなく公平な視線は、村上が世界と向かい合うやり方の中でも基本的な特徴の一つであろうと思う。

1 条评论:

yuka_kn 说...

Bluebaiさん、試験で大変な時期なのに、すごい。きっと時間のやりくりが上手なんですね。

ところで(もし違ってたらごめんなさい!)、Bluebaiさんの文の中に時々「う〜ん、これはBluebaiさんのことばじゃないなあ」と思う部分があります。たぶんBluebaiさんは勉強熱心だから、どこかで見た文を「あ、この表現は私が言いたいことだ!」と思ったのだろうけれど、やっぱり「ことば」は一人一人のものだから、全く同じということはないと思います。そこのところをもう少し頑張ると、Bluebaiさんの文はとっても説得力があって素晴らしいと思います。